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2021年 01月 16日
「足し算の命か引き算の命か」というのは、命が限られていてその日から何日生き延びたか、余命が決まっていて毎日引き算していくか、ということです。結局のところ、一日を感謝をもってすごすか、限られた命が毎日削られていくことを辛く寂しい気持ちで過ごすかという難しい問題です。余命宣告されて、やり残した大事なことを自覚してやり遂げて充実感を持って逝く方もおられるでしょうし。
「足し算命」という表現を見つけたのは朝日新聞(1月16日)のBe(土曜の別刷り版)で、58歳の緩和ケア医が「それぞれの最終楽章」というタイトルで連載されるようです。 老いてもいないのに「老い」についてもっともらしく語る「専門家」も散見されますが、この方に場合は苛烈な現実です。一日一日が充実した一日でありますように・・・
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by masayuki_ya
| 2021-01-16 10:46
| 老いの足音、死の足音
2021年 01月 06日
一言でいえば、平穏でやや退屈なお正月でした。
いつもながら観るべきTV番組もなく、例外は箱根駅伝の10区での逆転劇と「逃げるは恥だが役に立つ」の特番。 ドラマのタイトルはハンガリーのことわざで「自分の戦う場所を選べ」とのこと、歴史の中で磨かれた一言ですね。この種のドラマは私の守備外ですが、一種の社会現象とあって、「勉強」させて頂きました。コメディというオブラートにくるんだ社会風刺・批判はさすがでした。 我が家の習慣は元々、2日は駅伝をチラッと見て鎌倉の八幡宮にお参りして、蕎麦を食べるというものでしたが、階段を上がるのがつらくなって、近くの小さな無人の神社にお参り、駅伝をちらり、でお蕎麦になっていたのですが、コロナの脅威がさらに迫ってきたというので、これも中止、外出は近くの大きな公園へのウオーキングだけでした。 所が「奥方」がお昼を外食と言い出し、今日(6日)時々行くイタリアンでランチ、いつも賑わっている食堂街もこのお店もひっそりし、「奥方」はマネージャーを同情することしきりでした。 「奥方」の本当の目的は、私の田舎に寒中見舞い(いつもの肉まん、あんまん)を送ることだったようで、昔風でいうと「いい嫁」です。 コロナ攻撃を受けずに帰宅できたと祈るばかりです。 #
by masayuki_ya
| 2021-01-06 14:56
| 老いの足音、死の足音
2020年 12月 31日
まず昨日の話:
我が家の一大イベント:リビング+食堂(仕切り無し)の床のワックスがけ といっても、息子が同居を始めてからは彼の担当だが、いろいろなものを寝室に押し込めたり動かしたりは私と奥方の仕事でした。 今日は九時に散髪にいって、そこの亡くなったお母さんの話を聞いた。一年ぐらいは若い時代に戻ってご主人を名前で呼び、息子達はまだ存在しない世界だったらしい。「奥方」に言ったら「それはいいわね」でした。 例年は娘夫婦が孫と来るのだが、昼は3人でシンプルに済ました。 この一年を振り返ろうにも、コロナ一色で、私的には 1.このブログを再開 2.夢を記録し始めた 3.「奥方」と努めて優しく接する努力を始めた ことぐらい。 週一回は外食にも出かけていたのだが、12月に入り、これも「自粛」。来年はどんな年になるのやら。 今年最後のウオーキング、と言っても本人的には、若い人がスイスイと追い抜いていく速さ。 先人はこういう体の衰えをどう受け止めながら旅立って逝ったのだろう、と考えたりする、ただあるがままに逝ったのだろう、多分。 こういうクダクダした話をウンウンと聴いてくれる老人専門の心療内科があればいいのだが… 午後は「奥方」が見ていたゴッドファーザー3(録画)、つられてみてしまった、シリーズ3があるとは知らなかったし。イタリヤ語をやっていた時、シシリア島は2週間かけて回ったが、当然のことながらマフィアの影もなかった。パレルモで近くの町に行くのに見知らぬ人に乗せてもらったのだが、あとで知り合いのイタリア人に話したら「よく無事だったね!」と言われた。 夜食はお蕎麦、今回は暖かいニシンそば、をおいしく頂きました。 「ゆく年くる年」をみて、除夜の鐘をきいて、年が明けました。
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by masayuki_ya
| 2020-12-31 11:47
| 老いの足音、死の足音
2020年 12月 30日
管理組合って、マンションに住んでいてもまず関心を持たれない。
私は築45年超、3LDKに建った時から住み続けている(3棟で200戸弱)。どういう訳か入居2年目に理事長になって以来10回以上就任を重ね、2年前管理会社任せを見過ごせず再度「登板」し、棚上げしてきた懸案事項に手を付けている。昨今、役員になり手がないので「輪番制」を取っているのだが、これが破綻したので、やれるのに引き受けない場合はペナルティを科すことにしようと、1月に臨時総会を計画、規約等の改定案作成に苦労し、昨日やっと議案書を配布、可決されるかは自信が持てない。 「社会」という言葉はsocietyを訳した意味不明の外来語。societyとはそのコミュニティに住む人たちの「共同体」のことなのだが、日本では、農村共同体はあって、みんなで助け合い、家を建てる時は部落総出でやったものだった。しかし、その小さなコミュニティを出ると、そこは恥はかき捨ての「世間」。いわゆる近代的な「コミュニティ」はいまだに未成熟。要するに民主主義が未成熟なのであるが、 日本の民主主義を心配する前に、我らが管理組合はどうなることやら… #
by masayuki_ya
| 2020-12-30 09:21
| 老いの足音、死の足音
2020年 12月 27日
数十枚ある音楽のCDを整理していて、カザルスのことを思い出した。
スペインのカタルーニャ出身のチェロ奏者でチェロの近代的奏法を確立したらしいが、そういう事は無知である。彼はフランコ独裁時代に亡命、一度も故郷に帰ることはなかった。1958年、国連で演奏。 彼が弾くカタルーニャ民謡「鳥の歌」は、故郷への思いがこもっていて優しい。 歴史にまつわる話では、フルトヴェングラーが亡命前夜ウインフィルを指揮した ブラームス交響曲第2番 (1945年1月)は鬼気迫る。ナチに協力したといわれるカラヤンが戦後ニューヨークでコンサートを開き、チケットが完売されていたが会場には誰も現れなかったとか…この話を知ってから彼が指揮したのは一曲も聴いていない。 カタルーニャは独自の文化、言語を持っていたが、独裁時代に禁止・弾圧された。 最初にスペインに行ったのはその独裁時代、その政治体制には当時無頓着だったが、マドリード中心街は夜中になっても人が多く、治安もよかった。 その後、バルセローナではその文化の独自性を理解することはできなっかたが、独裁時代禁止されていたフォークダンスを広場で踊っているのを見かけた。「奥方」がその輪に入ったような… この「奥方」は年末とあって少しずつ普段はやらないところの掃除を始めているのだが、こっちが腰を上げようとしないので、声がだんだんとがってきている、甚だふがいない「同居人」である。 #
by masayuki_ya
| 2020-12-27 10:18
| 老いの足音、死の足音
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