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すでに自由の身で「NOVAしてる」元気な中年。仏・伊・西のラテン語系3言語「制覇」を目指してがんばっています。mixiの「フランス語の部屋」「イタリア語の部屋」「スペイン語の部屋」にもおいで下さい。
by masayuki_ya カテゴリ
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2005年 01月 14日
「普段着のパリ」、たどり着くとほっとする街。わたしには8回目、妻には5回目。14区、モンパルナスにも歩いていける距離にある短期賃貸アパートへ、昨年に続いて同じところ。10分ぐらいに、いろんなお店が並ぶ通りがあってお気に入りの立地です。パリに入った日、その通りにある美味しいギャレット屋さん(モンパルナスの近くにはギャレット通りがあるのですが、まだ、美味しいところが見つけられない、何故、そういう通りが出来たかは、おいおい)にいったら、フランス語が出てこない。店員さんが、やさしく「英語はしゃべれないの?」で、私「フランス語が喋りたいんだよ!!」、隣のテーブルからくすくす笑いが聞こえてきました。旅行中に使うイタリア語は限られていたのに、フランス語が出てこない、ショック、お店を出る頃にはギヤーチェンジは出来ていましたが。 近くのスーパーや「京子食品」に行ったりで、買いすぎないように注意しながら、食べ物調達、旅の疲れを癒すといったムード。ルーブル、オルセイ、マルモッタンにぶらりと出掛けたり、フランス人の友達を呼んでてんぷらを食べたり、知り合いのカップルを訪ねたり。このご夫婦、奥さんがアイルランド人でご主人がフランス人で、子供が1人、子供のマザータングは英語にするといってましたが、果たしてどうなるのか?彼女のフランス語は名詞の性や冠詞があやふや、ご主人の英語はすごいフランス語訛り。 初めて行ったところといえば、スフォルツァ城ぐらい。でも、歩き回るとそのたびに小さな発見がある街。 帰り、空港で、待てど暮らせど、搭乗が始まらない、結局、キャンセル。荷物を受け取りなおして、チェックインカウンターに逆戻り、長い行列の跡、運良く(というべきか)翌日の同じ便の席が取れました。中には直行便がとれず、ローマ経由といった人も。10ユーロのテレフォンカードをお駄賃にもらって、近くのホテルに。こういう形の延泊は初めての経験でしたが、飛び立ってから引き返すなどのトラブルを考えればまだマシかもしれません。 日本は異常な猛暑で7-8月とまるで学習意欲がわかず、イタリア語・フランス語とも重い腰を上げたのは、8月も末でした。元のペースに戻すのに四苦八苦、いい教訓になりました。
2005年 01月 14日
![]() 私達には2回目のミラノ。徒歩ではちょっと骨が折れる広さにめげず、めぼしいところは「踏破」。歩くといろんなものが見えて町の概要が脳に刻み込まれます。「メル友」にも会えた町。やはり、私のイタリア語を勘案して、京都で日本語を学んだことのある同僚(女性)同伴で会いに来てくれました。たまたま、日曜日ということもあって行ったのが、運河沿いのナヴィリオ地区、昔の洗濯場跡があったり・・・モダンなミラノとは対照的な風情が残るところ。 始めてきた時、イタリア男性の服装のセンス、モスグリーンのジャケットに赤のパンツといった姿にショックに似た感じを持ちました。街行く人のセンスはフランスに比べて抜群にいい。ただ、今回、お昼に連れ立って出掛けるビジネスマンはダークスーツが多数派だったような。 日本人観光客はDuomo周辺だけでした。どこのDuomoの前に立っても、人間が小さく見えますね。
2005年 01月 14日
イタリア北部ビエモンテ州の州都、ポー川の大きな流れにそった静かな町で観光客は殆どいない。元々、フランスのなんとか家が支配していたことがあり、フランス語が通じる、妻は「マダム」と呼ばれたといっていました。イタリア史の中でも重要な役割を果たし、イタリア統一を宣言したところ。イタリアンバロックといわれる美しいたたずまいが残っています。時代と優雅さを感じさせるcaffèがあちこちにありました。日帰りで、アオスタへ。渓谷の間を縫って走る汽車から見る景色はなかなかの物で、アオスタからはモンブランやマッターホルンなど雪を頂いた山並みが見れ、妻は大喜び。 トリノ出身の講師から勧められた Sacra di S. Michele修道院へも。トリノから西に40k、それほど高くはない山の頂上にあって、駅から近くまでタクシーで往復しました。
2005年 01月 14日
繁栄した昔の面影が今も残る町。ルネサンス時代と中世と二つの旧市街地があってたっぷり歴史を感じることが出来ました。いくつかの古い教会では学生がボランティアでガイドをやっていることも。大きな市場(市場を訪ねるのが旅の楽しみの1つ)の近く、露天古本屋のおばさんに、手ごろなお店を聞いて、お昼、小さな軽食屋でした。こういうことが出来るのはイタリア語を始めたお陰、しばらくして、そのおばさんも食べに来て「おいしかった?」といった顔をしていました。静かな広場で女の子達に取り囲まれ・・・ 例の一団、ジプシー(人種的偏見がある訳ではありません。フランス語では別の言い回しがあるのですが、イタリア語では知りません)には注意しているのですが、後で考えると、東欧系だったのかも。パリの知人の話だと、東欧から子供が売られてきて、稼ぎが悪いと手をちょん切られることもあるのだとか。社会問題の1つだといっていました。 日曜日、珍しくテーブルのセッティングがしてあるレストランを見つけ、恐る恐る入ると、2-3段あがった小さなフロアに、後で親子の一団ががやがや来たので、納得。(こういう場合、日本では他のお客はいれませんが、おおらか) 隣の子供づれカップルのテーブルに生の大きなソラマメがサヤごとボールに山盛りドーンと・・・ めずらしので眺めていたら、分けてくれました、えぐみがあって好みではありませんでしたが。妻が、早速折り紙を折ってお返し、彼女の得意技です。 ケーブルカーにも乗ったのですが、町を一望出来ず残念。 日本人をみかけないのはどうしてでしょう?
2005年 01月 14日
Monterosso al mare は 地中海に面した山の斜面にへばりついたような漁村の連なる Cinque Terre(世界遺産に登録されています) の1つ、以前、ポルトフィーノにいったことがあるので、楽しみにしていたところ。ホテルで紹介されたレストランで食べた小魚のフライ、魚のスパゲッティがおいしくて、3日通いました。夕方、ふらりと隣村にいくと、小さな教会の周りに人があつまっていて、近くの路上に花々で描かれた絵も。感度のいい妻にいわれて、カフェで待つこと暫し、教会から小さな行列が出てきて何かのお祭りだったようです。画像は船でいったVernazza.
2005年 01月 14日
イタリア語を始めた頃、Pisaとpizzaをいい間違えて、講師が「?」だったことがあります。連続子音の詰まった音に慣れるのにちょっと時間が… 若い女性が早口でしゃべると小鳥のさえずりに聞こえるのがこの音の性かも。斜塔の周りは観光客であふれているのに、町全体は静か。観光客の定番ポーズは、斜塔が倒れてこないように支えている格好。妻のメモには「ガリレオの記念館、大学の校舎があちこちにあり、自転車に乗った学生の姿が目に付いた」とありました。ホテルで聞いたお店のパスタがおいしかった。
2005年 01月 13日
![]() ![]() ![]() ![]() 帰りパリに寄るので、行きもパリ経由。パリからの途中、「モンブランがみえた」とかいって妻が大はしゃぎ。私は3回目、妻は2回目のフィレンツェ。めぼしいところはみんな行きました。娘より若い”お友達”の弟さん(イタリアに料理の修業に来ていたことがあって)に薦められたお店で例のビステッカ・フィオレンティーナ(いうなればTボーンステーキ)を食べました。お肉屋さんがついでに出したといった一膳飯屋風。奥で肉を”ぶった切っている”音が鳴り響いていました。超満員で、日本人青年と合い席に、近くの町でコックの見習い中で休日には人気のお店に勉強にくるのだとか。 MLでみつけたイタリア女性にも合いました。一種、ミステリアスな女性で、働いていない、夕食に招待されて市内のアパートにも行きましたが、金持ち風でもない。私のイタリア語を見越してか、友達だという語学留学中の日本人女性を連れて会いにきてくれておお助かり。一緒にいったお店(ピザ、パスタ、肉料理)はこれから行く人にもお勧め(s.n.c YELLOW tel: 211.766) その後、2回行きました。日帰りで、San Gimignanoに、バスを乗り継いで。映画「ムッソリーニとお茶を」を思い出しました(フィレンツェに住んでいた美術愛好のイギリス女性グループがファシズムの台頭でフィレンツェからSan Gimignanoに追われるのですが、ドイツ軍が敗走する前に、貴重な壁画のある塔を爆破しようとするのを身を挺して守ったというお話。彼女達の1人がいつも「ムッソリーニからお茶に招待されたことがある」と鼻にかけていたことから、皮肉を込めてこの題名が…) 帰り、乗り換えの町で、あるはずのバスがない!! 仕方なく15分ほど歩いて駅へ、日曜日とあって駅員がいない。向かいのホームにいた神父さんにきいたら「わしゃ、知らん」。たまたま、聞いていた日本人女性(この方も近くの町でコックの修行中)が自動販売機での切符の買い方を教えてくれて無事汽車に乗れました。なんだか、駅の番号を入力しなければならなかったようでした。途中、乗り換えの必要があるかどうか、隣の車両にいた尼さんの一団にきいたら、毅然とした態度で「NO」、ところがいくつか目の駅で周りの人がおり始め・・・乗換えが必要だったのです。尼さんもうそをつくのか!! 確信が無ければそういってほしかった。 Fiesoleにも行きました。Firenzeの母とよばれ、オリーブの丘にある町、Firenzeが一望できました。 San Gimignano行きの時刻を調べにバスターミナルへいった時、妻が「ローマ行きのバスがある」、近くにいた青年が「ローマ」に反応して「ローマ」では無くて「ルーマニア」で、彼もこれから帰るんだといってました。東欧がすぐ隣なんですね。時差ぼけをとりながら、のんびり出来たFirezeでした。 -今回の旅は 7/10まで- < 前のページ次のページ >
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